読谷村の歴史探訪 後編!

こんにちは ちゅらむら読谷の仲村渠(なかんだかり)です 本日は、9月11日(日)に行われた村内視察研修後編をお送りします 前編はコチラをご覧ください  ⇒ http://main1.churamura.com/?eid=128 長浜ダムを見学した後は、皆さん(主にわたし!?)お待ちかねのランチ 沖縄残波岬ロイヤルホテルのランチバイキングですっ おいしくて、食べることに夢中で、昼食の風景は撮り忘れました・・(笑) 午後は、都屋漁港の近くにあるトーチカ跡からスタート! この四角い穴、なんだと思いますか? 沖縄戦の時に 日本軍が上陸してくるアメリカ軍を迎え撃つ為に造られた銃座なんです! 結果的には使われず、アメリカ軍は無血上陸を果たします。 次に、すぐ近くにあるティラガマを訪問 よく見ると、写真下の黒い部分は地面がありません! 下は鍾乳洞になっていて、大きな穴がぽっかりとあいています 戦時は住民の避難場所のガマとしても一時利用されましたが、 アメリカ軍の攻撃が激しくなったため、住民は北部へ疎開したそうです。 次は、尚巴志(しょうはし)のお墓を訪ねました お墓の近くに、拝所にもなっているイーヌカーという湧水の川があります とても澄んだ水で、ちっちゃな川魚もいっぱいいました お墓は、隠れるように森の奥深くにあります。 尚巴志琉球王朝の初代の王様です。 お墓には尚巴志王尚忠王尚思達王3代の王が葬られています。 首里で起こった政変により、王の一族は先祖の遺骨と共に各地へ逃げました。 3名の王の遺骨は、見つからないよう読谷に隠されました。 墓の守り人となった平田之子屋比久之子のお墓も、近くにひっそりと残っています。 次の訪問地は、掩体壕(えんたいごう)です! 掩体壕とは、戦時中に日本軍が戦闘機を隠すために造らせた、 コンクリート製の格納庫です。 今は保存のために支柱等で支えていますが、 当時は支えるものもなく、造り方も盛り土の上にコンクリートを流して固めただけと とてももろそうな造りです。 少し前までは、牛小屋や農機具置き場として利用されていたとか ちなみに、ところどころにあるくぼみ、受けた銃撃の跡なんです! 最後の訪問先は、座喜味(ざきみ)のパワースポットといわれている場所へ 民家さんも興味津々! 気の満ちた場所が、ここです! 柵の下なのですが、昔からの拝所があって皆で手をあわせました。 どうぞ、民泊を見守ってくださいね~ 実はこの場所の直線状に、読谷村役場もあります 無事に全行程が終了! ご参加いただいた泉川さん、読谷村役場の方々、民家の皆さん、 本当にありがとうございました! そしてお疲れさまでした! 暑かったですがよく晴れて、充実した研修となりました これから民泊シーズンに突入しますが、 民家のみなさん、どうぞよろしくお願いします ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 沖縄へ修学旅行予定の方 よみたん民泊まだまだ予約受付中

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